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2012年12月 3日 (月)

カレンダーの日

明治5年(1872年)、維新の政府が突然「来る12月3日を新暦の
明治6年1月1日とする。」と太政官布告した。
外国との交渉などには、陰暦では不都合が多く太陽暦(グレゴリオ暦)が
採用された。

昭和62年(1987年)に全国団扇扇子カレンダー協会がこの日を定めた。

 

布告から施行までわずか23日というスピード施行、そして12月が
わずか2日で終ってしまう。庶民は慌てたことだろうと思います。

これには理由が・・・

当時の明治政府は財政難。

旧暦の明治6年は閏年で、1年が13ヶ月になる。
そうなると官吏の給料を13回払わなくてはならず、その他の出費も
かさむ。

それを避けようと、スピード改暦したとか。

 

今は日本政府も財政難。
議員と官僚の経費を減らすには・・・・良い方法はないものか?

 

 

3


布告から施行までわずか23日というスピード実施であり、しかも十二月(師走)がわずか二日で終わってしまったのです。当時の庶民のあわてようは想像に難くない。

 なぜこれほどのスピード実施になったのかというと、明治政府の財政危機があったという。翌年の明治六年は旧暦で閏月があり一年が十三カ月になり、官吏の給料を13回支払わなければならず、その他の出費もかさむ、いっそ太陽暦を採用すればその心配もなくなり、その上明治五年の十二月も二日しかなければ、十二月の給料までもまるまる節約できると考えたのです。乱暴な話ですが、これがスピード改暦の真相だったとか。。当時の庶民のあわてようは想像に難くない。

 なぜこれほどのスピード実施になったのかというと、明治政府の財政危機があったという。翌年の明治六年は旧暦で閏月があり一年が十三カ月になり、官吏の給料を13回支払わなければならず、その他の出費もかさむ、いっそ太陽暦を採用すればその心配もなくなり、その上明治五年の十二月も二日しかなければ、十二月の給料までもまるまる節約できると考えたのです。乱暴な話ですが、これがスピード改暦の真相だったとか。

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